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1250年前の

コミティアが迫って来ている時期ではありますが、ちょっくら奈良に遊びに行ってきました。

目的は平城遷都1300年祭と正倉院展。
そのなかでも、密かに一番楽しみにしていたのが正倉院展に出展された『冶葛(やかつ)』です。
薬の一種とされていますが毒性が強くて、現在はほとんど用いられていないという代物。
毒草園シリーズでも『没薬は誘う』で使わせてもらっています。
今回出展されると知って、どうしても実物を見たくなってしまったのです。

展示されていたのは、正直、河原に行けば落ちている流木のようでした。とはいえ1250年以上経ったいまでも猛毒を留めているそうで。
献納されてから徐々に量が減っていく記録が残っているそうですが、これ、薬として使われたのか毒として用いられたのか、考えるとちょっとドキドキします。
これから正倉院展に行かれる予定の方、ぜひじっくりと見てきてくださいね。

あと1300年祭のほう、すこし場所が離れていますが、東院庭園にもぜひ立ち寄ってください。以前から復元されている場所ですが、とても雰囲気のよい庭園です。
椎名貴乃 * 博物・美術 * 22:35 * - * -

自分メモ

土偶:
縄文時代に作られた土の焼き物。
デフォルメされた人型が中心。
破損した状態でみつかることが多く、何らかの宗教儀式に利用されたと考えられている。

埴輪。
古墳時代に作られた土の焼き物。
古墳に並べるために作成された。
初期は円筒埴輪が中心だったが、その後、形象埴輪(人・動物・家・盾など)も作られるようになる。

東京の国立博物館で土偶展が開催されるようです。
かなり気になってます。
椎名貴乃 * 博物・美術 * 23:00 * comments(0) * -

古代出雲大社模型展示館

 「雲太」と名付けられたこの展示館は、木の大鳥居にちかい商店街の一角にありました。たぶん、昔はお土産物屋さんかなにかだったんだろうな、と思わせる店構え。
 館名は口遊(くちずさみ。平安時代に源為憲が書いた初心者用の学習書。覚えなければならない語句などが載っている)にある『雲太・和二・京三』という、当時の建造物で大きいものの1〜3位を覚えるための言葉から取ったものでしょう。一番大きな建物が出雲大社。二番目が奈良(大和)東大寺の大仏殿で、三番目が京都の大極殿という順番(出雲太郎・大和二郎・京三郎の略)。
 当時の出雲大社の本殿は高さが16丈(約48メートル)で、大仏殿が15丈(約45メートル。ちなみに現在は約52メートル)だったと言われています。またもっと古い時代の本殿は32丈(約96メートル)あったと伝えられています。
 展示館には16丈あったころの本殿の模型が展示されています。建物自体が巨大だった、というより建物を支える柱が異様に長くて、建物の入り口と地上とを結ぶ階段がスロープのように長く伸びている(48メートルの建物に対して、階段の長さは109メートルもある)。そんな本殿の10分の1の模型です。
 この本殿は出雲國造家に伝わる『金輪御造営指図(かなわごぞうえいさしず)』を元に作られています。見上げると、本殿部分より階段の長さがまず目につきます。
 記録によればこの本殿、何度となく倒壊したことがあるようです。建物としては、やはりちょっと不安定な感じもしました。そのせいか、古代の32丈はもとより16丈もの高さがあったはずがないという声も。
 しかし数年前、指図に描かれたとおり、三本の巨木を束ねて一本の柱とする平安後期から鎌倉初期のものと思われる本殿の柱がみつかったことで、その図とおりの本殿はやはり存在していたのだと言われてもいます。
 また弥生時代の土器には、船に乗った人々と津(港)の風景とされる絵が描かれているものがあるのですが、ここに描かれている望楼が古代の本殿の姿とよく似ていて、これが原型ではないか、という説もあります。かたちは本当に似ていますが、望楼が寝殿へと変化した理由は私にはよく分かりません。
 さて展示館のほうに話を戻して。古代の本殿を見たくて訪れた展示館ですが、それ以上にめだっていたのは、現在の本殿を含む瑞垣内の模型。本殿は内側から玉垣、瑞垣、荒垣と3重に区切られていて、一般の見学者が入れるのは荒垣まで(拝殿があるのも荒垣内部分)。『お庭ふみ』を申し込めば瑞垣の内側からお参りすることはできるようです。でも瑞垣内を自由散策、って雰囲気ではなかったです。お参りして、すぐに出てきていたようでした。
 つまり本来、瑞垣の垣根越しにしか見ることができない瑞垣内の様子を、じっくりと見られる模型です。模型といってもかなり大きく、見応えがありました。
 他にも模型がいくつかと、3本を鉄の輪で束ねて一本として古代の本殿の柱を一部復元したものなど(これは出雲大社の拝殿裏にも同じものが置いてありましたが)を見ることができます。
椎名貴乃 * 博物・美術 * 01:29 * comments(5) * trackbacks(0)

出雲大社

 出雲大社です、出雲大社。
 ここが何県なのか、すぐには答えられなかった職場の友人たち(私も人のことは言えないけれど、島根と鳥取の位置関係がまずあやしい)も、縁結びで有名なところとして、この大社のことはよく知ってました。
 でも前にも書きましたが、私が「出雲大社に行きたい」と思うようになったのは高橋克彦さんの『竜の柩』を読んでから。そのうえ井沢元彦さんの『逆説の日本史』(小学館)なども読んでしまうと(出雲大社の記述があるのは1巻目の古代黎明編)、すなおに「縁結びの神さま」と思うこともできなくて。
 出雲大社に祀られているのは大国主神(オオクニヌシノカミ)。スサノオの子供とも5世(6世?)の孫とも言われる神さまで、大物主神(オオモノヌシノカミ)・大己貴神(オオナムチノカミ)・八千矛神(ヤチホコノカミ)等の別名が多くあります。大黒さまっていうのが一番親しみがある呼び方かも。
 兄弟に虐められながらも因幡のシロウサギの助けをかりてヤガミヒメと結婚して(でも正妻はスサノオの娘のスセリヒメ)いろいろ苦労しながら芦原中国を作りあげたのに、アマテラスが「この国は自分の子孫が治める国だ」と国譲りを迫ってきた。
 大国主神は結局、自分のための壮大な宮殿を建ててくれることを条件に国を譲り、幽界に隠れた。幽界の神さまになったんです。つまり大国主神は死んだ(殺された)んじゃないの?というのが『逆説の日本史』での意見。
 もちろん出雲大社の由緒略記にはそんなこと書いてありません。目に見えざる世界の幽冥(カクリゴト)(神事)の主宰神になった、とはありますが。縁結びをはじめとする「結びの神さま」となったのは、国造りの際に何度も試練を乗り越えた=死の淵から蘇る、命の結びの神だからとありますが……なんかうまく誤魔化されているような気が……。(手持ちのガイドブックにはこのカクリゴトというのが「目に見えない人の縁こと」を意味している、と説明してありました。)
 神話の時代と現在の出雲大社は場所も呼び名も違っているそうですが、だからって島根への旅行でここを外すことはできません。
 駐車場から参道入り口にある木の大鳥居をくぐって境内へ。参道はかなり広いのですが、大きいはずの本殿がまったく見えないのは何故?と思いながら歩いているうちに、ようやく荒垣内へ入るための銅鳥居が見えてきた。そして銅鳥居の内側に拝殿のしめ縄が。
 大きいことで知られているのは神楽殿のしめ縄の方ですが、こっちもかなりの大きさがありました。本殿が視界に入ったのは、銅鳥居をくぐる直前ぐらいだったように思います(拝殿に注意がいっていたので、あまりたしかな記憶ではありませんが)。
 拝殿でお参りをすませたのち、瑞垣ぞいにぐるりと一周歩いてみました。「これが大社造りか」などと納得するような知識は私にはありません。ただ本殿の大きさは言わずもがな、置千木(屋根の上で交差させた装飾材。×型をしているって言っても間違ってはいないと思う)にばかり目が入ってしまって。あれだけ高いところに置いてあるのに、巨大なのが分かる。地上に降ろしてみたらいったいどれくらいの高さがあるのだろう?と考えてみたけれどまったく分かりませんでした)。
 ツアーで来る方たちは拝殿と神楽殿でお参りして帰ってしまうようですが(ひどい場合、神楽殿を拝殿だと勘違いして、拝殿まで行かないで帰ってしまう、なんていうのもあるそうです)、瑞垣は拝殿から離れるに従って垣根が低くなっているようで、後ろにまわったほうが本殿をよく見ることができました。見ないともったいないですよ。
 また銅鳥居の外側には大国主神の像(幸魂(サキミタマ)・奇魂(クシミタマ)が出現した場面)があります。この大国主神、なかなか格好いいのでこちらもお見逃しなく。(因幡のシロウサギの話にちなんだ像もあったみたいですが……気がつかなかった。たぶん、参道の反対側にあったんだとは思うんですが。)
椎名貴乃 * 博物・美術 * 01:04 * comments(0) * trackbacks(0)

荒神谷博物館

 荒神谷遺跡といえば、358本もの銅剣が一度に出土しただけでなく、そのすぐ横から銅鐸と銅矛が一緒に出土したことで知られる、あまりにも有名な場所。古代史関係の本にも、この遺跡名はよく出てきます。もちろん前から「行きたいなぁ」と思っていた場所のひとつ。
 島根への旅行が本格化して、いろいろ調べているうちにこの博物館を発見しました。なんと今年の10月にオープンしたばかり。そしてここでは一括国宝指定された出土品の一部を実際に見ることができるんです。これはもう、行かないわけにはいきません。
 でも実は、あやうく見られないところだったんです。博物館では来年の1月までオープン記念の特別展を開催していて、その間、たった1日休むだけで開館するとのこと。最初の予定では、その「たった1日」の休みの日に博物館を訪れるつもりだったんです。休みだと気がついたのは旅行に出るわずか2日前。慌てて予定を組み直しました。泣くところだった……。
 さて博物館ですが。展示室は大きく分けて3つ。1つめの荒神谷展示室では、遺跡発掘時のドキュメントを映像で見ることができます。大型スクリーンの下には遺跡の模型が設置してあり、映像で発掘している部分が遺跡全体のどの部分なのかが分かるよう、模型にライトを当ててくれます。これがとても良かったです。だって『銅剣の茎(なかご)部分』と音声で説明されても、正直、どのあたりのことなのかなんてすぐに分からないし。「すごい遺跡がみつかったんだな」と改めて思わせるドキュメントでした。
 あとの2つは特別展示室と企画展示室。特別展示室のほうに常設で荒神谷の出土品が展示されるようですが、オープンを記念してか、企画展示室のほうにも出土品が展示してありました。企画展示室の展示には模型や金色に輝く復元品なども含まれていましたが、ずらりと並べられた剣と矛は圧巻でした。本当に、来たかいがありました……。
 玄関ホールには銅剣・銅鐸・銅矛のレプリカが置いてあって、手で持つことができます。もちろん全部持ってみました。特に銅矛は大きさのせいか、かなり重くて実戦向きとは思えませんでした(祭器用のものらしいですが)。ちなみに剣で切りつける真似をしたのは母親(切りつけられたのは父親)。そういうことを大人がしてはいけないと思うんですが、いい年をしてこの人たちは……。
 見学を終えたのちに実際の遺跡へ。山の斜面にある遺跡がよく見られるよう(ここにも出土品の模型が設置されていました)、周囲には小道が作られていましたが、できればもう少し近寄れるようにして欲しかったかも。遺跡保存のためだと分かってはいますが。
 ちなみにこの博物館と遺跡、荒神谷史跡公園という場所のなかにあるんですが、敷地の入り口や駐車場付近の車止めが銅鐸のかたちをしていました。まぁあれ、三角コーンに似ていなくもないし。さすがです。
椎名貴乃 * 博物・美術 * 01:10 * comments(0) * trackbacks(0)

ルイス・C.ティファニー庭園美術館

 松江の市街地から少しはずれた宍道湖のほとりに建つこの美術館は、松江市が管理するイングリッシュ・ガーデンや温室などとあわせて「松江ウォーター・ヴィレッジ」と呼ばれる複合施設です。などというと小さな美術館を想像してしまいそうですが、これが広い! 展示室はガイダンス部分もあわせると14ものゾーンに別れています。
 陶磁器や七宝などの作品も展示されていますが、メインはやはりステンド・グラス。特にランプは数が多く、個性的な色合いや曲線を描くフォルムがいかにもアール・ヌーヴォー調で、「あれ、きれい」「これはよく分からない」とか、勝手な感想を言いあいながら見学してました。
 とはいえ一番印象に残ったのは『ヘレン・グールドの風景』という題がつけられた窓用のステンド・グラス。高さが3メートルを超える大きな作品です。
 『鹿の窓』という通称のとおり、林のなかに流れる小川で鹿が水を飲んでいるところを描いたもの。ステンド・グラスだから表現できたであろう林の奥から射し込む光や、水のきらめきが、うっとりするほどの美しさ。入場券にこのステンド・グラスの写真が使われているぐらいだから、やはり有名な作品なのでしょう。
 じっくり見ておこうと思って椅子に座ってまた驚きました。画面の奥から前方にむかって流れる小川の奥行きが急に深くなったように感じられたんです(これは視点の関係でしょうか?)。見学に行かれたときはぜひ椅子に座ってみてください。
椎名貴乃 * 博物・美術 * 01:47 * comments(0) * -

足立美術館

 島根を通るパックツアーのほぼすべてのコースに組み込まれている美術館。私はまったく知らなかったんですが、ここはアメリカの日本庭園専門誌が行う庭園ランキングで3年連続して1位に選ばれた場所だそうです(そんな雑誌があること自体、驚きなんですが)。
 松江市内からカーナビに指示されるまま車を走らせたものの、「本当にこの道であっているの?」と不安に思ってしまうような道を抜けて美術館へ。有名な場所であるせいでしょう。9時の開館時間を少し過ぎたばかりだというのに、駐車場にはすでに大型のバスが何台も止まっていました。
 駐車場から見えた館の外見は、申し訳ないけれどイマイチぱっとしなくてがっかりしたんですが中に入ったとたん、「さすが日本一!」と声をあげたくなるような庭園が目の前に。
 正直言って、私自身にとってはあまり触手の動かない場所だったんです。でも手入れの行き届いた広いお庭は、どこから見てもため息が出るほど美しくて。
 喫茶室にいたとき、ちょうど目の前で庭の手入れをしている人たちがいたんです。木の根元に苔を植えていたんだと思うんですが(こういう知識はないに等しいので、もしかしたら違うことをしていたのかもしれませんが)、割り箸かなにかを使って作業しているんですよ。それも私がコーヒーを一杯飲む間にようやく一カ所に植え付けるって細かさで。その作業を見て、ちょっと高いなって思っていた入場料にも納得できました。
 ちょうど紅葉の映える時期で、もみじがとても鮮やかでした。同じ場所から、春・夏・秋・冬と時期をずらして撮影された写真などもあったのですが、やはり一番いい時期に訪れることができたようです。雪景色の写真もとてもきれいだったんですが、美術館までの道のりを考えるとちょっと怖いような……。あくまで慣れないレンタカーで訪れる、という前提での感想ですが。
 横山大観をはじめとする日本の近代絵画や、魯山人の作品なども展示されていましたが、お庭だけで十分なようにも思えました。
椎名貴乃 * 博物・美術 * 22:02 * comments(0) * trackbacks(0)

新沢千塚古墳群

 馬見丘陵は全長が100メートルを越す前方後円墳や、帆立貝式古墳など大型の古墳が点在する場所ですが、新沢千塚の方は千塚山と呼ばれる丘陵に約600基の円墳が集中して築かれている群集墓(群集墳)です。古墳群は整備されていたので、丘陵上にぽこぽこと丸い墳墓が密集している様は、遠目でもすぐにそうと分かりました。
 ふつう古墳と聞いて頭に浮かべる前方後円墳とかは、一個人のお墓。対して群集墓は集団としての繋がりが深いものだと言われているそうです。
 この古墳群で有名なのは、女性が葬られていた126号墳。金の指輪や金銅製の耳飾りなどの装飾品だけでなく、ここではササン朝ペルシアのものらしいガラス製のお皿やお椀がみつかっているんです。
 ペルシアのガラスは高台の付け方に特徴があって、それでペルシアのものと分かるらしいんですが(ずいぶん前にテレビで見ただけなので、記憶違いの部分があるかもしれません)、コバルト色の平皿と、金色の模様のある磨りガラス風のまるい椀はとても美しくて、一度しか見たことがないのに忘れられない品となっていました。
 出土した場所までは覚えていなかったんですが、旅行に出る前に本でみつけて、これは行かねば!と思いこんでしまった場所です。
 その本によれば、この古墳群には世界各地から運ばれた財宝が副葬されていて、大陸の武具も多い。異名は「地下の正倉院」。これだけ書かれたらこっちの期待も膨らみます。ただここに関しては、事前の情報収集が甘かったと悔やみました。
 古墳群に隣接して橿原市千塚資料館というのがあるから、出土品はそこにあると勝手に判断。まぁ、Web検索してもHPはなかったし、入場料もとっても安いので不安がないわけではなかったんですけどね。この資料館は橿原市内で出土した遺物の展示だけでなく、市の生涯学習施設を併せた館で、新沢千塚古墳群だけの資料館ではなかったんです。
 目的だったガラス製品は展示してありましたが、複製でした。正倉院展で華々しく展示されていた宝物を見たばかりだったので、もう少し工夫してあげれば映えるのに、と思ってしまいました。いえ、「地下の正倉院」という言葉に踊らされた私がいけないんですけれど……。
 古墳群は内部に道ができていて、自由に歩くことがでるようになっています。けれど新沢千塚にたどり着く前までの時間配分を誤ってしまい、資料館に着いたのは午後の4時。すでに薄暗くなってきた時間に人気のない古墳のなかを歩くのにはちょっと勇気が入りました。
 なにせ「お墓」なわけですよ。前方後円墳とか大きすぎるものならそんなこと考えないんでしょうけど、ここの円墳、人ひとりを木簡に入れて墳丘を盛ったらこれぐらいかなぁ、と思わせるサイズなんです(正確な大きさは分からないけれど、多分直径で5メートルないような大きさ)。
 整備されていると言っても、近くに人骨が眠っていないとは限らない。とりあえず復元古墳をみつけたので、そこまで行って、墳丘に登って、そそくさと古墳群から抜けました。
 いま調べてみたところ、見たかったガラス皿・椀ともに東京国立博物館の所蔵となっていました……。12月4日まで平成館に展示中とのこと。期間中に見てきます。
<アクセス(橿原市千塚資料館)>
近鉄橿原神宮前駅からバスで川西停留所
椎名貴乃 * 博物・美術 * 00:54 * comments(0) * trackbacks(0)

馬見丘陵公園

 古墳時代の代表的なものといえば、やっぱり古墳。けれど神社仏閣とは違い、古墳は見ても面白みがないんですよね。だいたい有名どころは天皇陵・陵墓参考地とかになっていて立ち入ることもできない。遠くから見ても樹木が生い茂ってしまって、周囲にお濠でも巡ってないかぎり、シロウトの私には山との区別がつかないんです。
 古墳に興味のなかった学生時代、強制的に飛鳥を歩かされたことがあります。ご存じのとおり、あそこも古墳が多い地域なんですが、「あれは山?古墳?」「わかんないよ……」という無意味な会話を繰り返しながら歩いていたことをよく覚えています。
 とはいえ、やっぱり古墳に登ってみたい! それで目をつけたのが馬見丘陵公園にあるナガレ山古墳です。全長105メートルの前方後円墳が復元されて、墳丘の東側半分の斜面に葺石がほどこされて、埴輪が並べられているんです。
 最近は各地で古墳などの遺跡が発見された場所を整備して公園として解放されていることも多いですが、私の知るかぎり、関東地方には葺石のある復元古墳はないんです。そのため前から「次に奈良へ行くなら絶対行きたい」と思っていた場所でもあります。
 巣山古墳をはじめとする古墳の集中した地域にある公園は広くて、いくつもの古墳を見ることができました(けれどやっぱりよく分からなかった……)。広すぎてなかなかナガレ山にたどり着けなかった、というのはご愛敬(あとで地図を見たら、思いっきり遠回りしていました)。
 すれ違う人は公園の関係者ばかりだったので、これならナガレ山も一人でじっくり見学できる、と喜んでいました。けれど待望のナガレ山に到着したとたん、中学生らしい団体と出会ってしまい……。なんとか時間をずらそうとしてみたんですが、いくつかのグループに別れて行動しているらしく、次から次へと団体さんがやって来る。ちょっと悲しかったですね。
 なにせバスは1時間に1本。ここで時間を使いすぎると後の予定に響いてしまうので、古墳を独り占めする、という野望は諦めました。それでも古墳のうえから見た景色は最高でした。子供たちと引率の大人の声が聞こえなかったらもっと最高だったんですけど。
 公園のなかには公園館という無料の資料館があり、ナガレ山古墳の模型や復元過程などを見ることもできます。公園の目玉は古墳だけでなく、菖蒲やバラなどの草木を楽しむことができるようになっているようです(館の人に、公園内のことではなく、帰り道のことばかり聞いてしまいました。親切に教えてくださってありがとうございました)。
 ちなみにこの公園と隣接して竹取公園というのがありました。かぐや姫の舞台になった町、ということになっているようです。竹のかたちをした(内側にかぐや姫の絵が描いてある)、いかにも!という建物があって、近寄ってみると予想通りWCでした。
<アクセス>
近鉄大和高田駅からバスで竹取公園東停留所
近鉄五位堂駅からバスで馬見北3丁目停留所
椎名貴乃 * 博物・美術 * 01:08 * comments(0) * trackbacks(0)

橿原考古学研究所付属博物館

 ここ何年か妙に日本の古代史が好きで(縄文〜古墳時代。たまに奈良・平安も。そのときの気分によって好きな時代が変わる。とはいえ専門的に勉強したわけではなく、一般向けの書籍を読んで満足している程度)、奈良で新しい発見があるたび名前を聞くここの博物館は前から気になっていたところです。
 常設展示が目的だったので下調べはしていなかったのですが、ちょうど『巨大埴輪とイワレの王墓』という特別展示が開催されていたのでラッキーでした。
 展示の目玉は実物大で復元された大型円筒埴輪。全高が270.5センチメートルという大きさの埴輪は圧巻、の一言でした。埴輪の復元は奈良の大学で行ったそうで、復元過程を記録したパンフレットもいただきました。授業でこういうことができるのって、すごく羨ましいです。
 実物大だけでなく、古墳のうえに埴輪が並べられている模型も展示してあったのですが、埴輪が巨大すぎるためか、私の想像力が貧困なせいか、古墳がちいさく感じられてしまいました。
 ほかにも桜井茶臼山古墳・メスリ山古墳の出土品が展示されていました。矢じりや刀剣などの鉄器が多かったような気がします。気になったのは玉杖(Y字型の石製の飾り(名前を忘れました)がついた杖)。杖は王位を示す道具のはずなんですが、日本で杖をそういう意味で使っていたのはいつの時代までなんだろう?という疑問がわきました(これは宿題にしておきます)。
 常設展示の方は「大和の考古学」という位置づけで、旧石器から鎌倉時代までの出土品が中心となっていました。一時期話題になった藤ノ木古墳から出土したものもここで見ることができます(復元された金の冠と沓はとてもきれいでした。けれど冠には鳥の、沓には肴のモチーフがいっぱいついているのには何か意味があるのでしょうか?)。
 展示スペースはそれぞれの時代ごとに分けられていました。さすが大和!というべき展示量なんですが、復元模型なども多くて、子供でも楽しめるようになっているようです。各時代の特徴的な品の説明を映像で見ることもできました。
 ここでのお気に入りは埴輪の鹿!さすが奈良だ……。ふと背後をみやるように首をひねっている姿をしているんですが、奈良公園で見た鹿がまったく同じような格好をしていたのを思いだしてしまいました。いままで一番かわいい埴輪は、東京国立博物館で展示されているイノシシだと思っていたのですが、鹿もそれに負けないぐらいのかわいさでした。
<アクセス>
近鉄畝傍御陵前駅から徒歩5分
近鉄橿原神宮前駅から徒歩15分
椎名貴乃 * 博物・美術 * 02:02 * comments(0) * trackbacks(0)
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