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ばけねこ泣いたか(C90新刊)

 



























 
猫は嫌い。私に不幸を運ぶから

昴が「猫の手」の依頼で出会った香澄は猫憑きの噂を持ち、
猫嫌いを公言する少女だった。
拝み屋である幽明、香澄が家族のように慕う望月、そして父親の秘書である小宮。
それぞれの思惑が交錯するなか、姿を現した化け猫の願いとは。


現代ファンタジー(読み切り)

B6サイズ/116ページ/オンデマンド印刷/600円

  
続きは冒頭および抜粋です


 
   1

 うつらうつらと意識の波間を漂ううちに、気がつけば視界が闇に染まっていた。
 それは、篝火だけが闇を照らす唯一の手段だった遠い昔の夜空の色。うつらうつらと船を漕ぎながら、自分が夢を見ているのだと気づいて苦笑する。
 あの時代、人間たちはすでに好き勝手に地上を切り拓いていた。それでも新月の晩だけは、濃すぎる闇を恐れて家に閉じこもっていたものだ。
 かわりに地上を跋扈するのは、境界をくぐり抜けた物の怪たち。そして彼らを追い払おうと夜空を駆ける見知った気配に呆れながらも、自分はひとり墓場にむかうのが常だった。
 闇夜に浮かれるのは生者だけとはかぎらない。墓場の周辺で踊るように宙を漂う青白い燐光は人魂だ。当時は荼毘に付す習慣もなく、朽ちた亡骸から抜けだした人魂はたいそう美味だった。
 月に一度、人魂をたらふく味わうことのできる貴重な夜。だからあの晩も、自分は夢中で墓場を駆けまわっていた。食い気を優先させるあまり、周囲への注意を怠っていたと気づいたのは、背後から近づけられた篝火に姿を照らしだされてからのこと。
 ふりむけば、目をまんまるに見開いた人間の女と視線があった。
 思わず舌打ちを洩らしかけたのは、それが寝床にしている家の娘だったからだ。ふつうの猫のふりをして、もうしばらくはその家に住み着いているつもりだった。だが自分はただの猫ではない。人魂を好んで喰らう物の怪だと知られた以上、人間は自分が村に住み続けることを許しはしないだろう。
 ……陰陽師に追われるのも面倒だ。
 自分の正体を見たのは娘ひとり。逃げるよりも娘を始末したほうが楽だ。そう判断して、いつでも飛びかかれるよう後ろ足に力を溜める。
「驚いた」
 しかし吐息まじりのつぶやきを洩らすと、娘は困ったように笑ってみせたのだ。
「食が細いから、どこか体が悪いんじゃないかって気にしていたのに。本当はずいぶんと食い意地が張っていたのね? 心配して損したわ」
 人魂ってそんなに美味しいの?
 興味深げに問いかけられて、今度は自分がまばたきを忘れてしまった。
「でも納得した。前からあなたは人間の言葉が分かっているんじゃないかって思っていたから。ああ、追いだしたりしないから安心して?」
 ふだんと変わらぬ声で話しかけられても、安心できない。娘が案外したたかな質であることは分かっている。気の弱い小娘なら、新月の晩にたったひとりで墓地を訪れられるわけがないのだ。
 大黒柱である父親以上に肝の据わった娘。そう遠くない未来に生まれるだろう彼女の子を、そしてそのさらに子を見守ってやってもいいと思うぐらいには、自分は彼女を気に入っていた。
「信じられないって顔してるわね。でもあなたが猫でも、猫に似た何かだとしても、だからなんなの? そんなことより重要なのは、あなたが鼠を狩るのがとても上手だということなんだけど」
 いなくなったら困るのだと告げる娘の目に嘘はない。だがこの娘にかぎらず、人間というのは傲慢な存在だ。いまは良くとも、なにがきっかけで考えが変わり、自分を疎むようになるか分かったものではない。
 不安の種を残す必要はない。そう理解しているのに、何故か自分は動けない。迷うのは、自分が選ぼうとしている選択肢が最善ではないと理解しているからだ。
 それでも。
 家に帰ろうと差し伸べられた娘の手を拒絶できずに、自分は短く喉を鳴らしていた。

2

 比売命という名の猫神を祀る三枝町の三枝神社。地元の人々から親しみをこめて「猫神社」と呼ばれる神社の境内には、多くの年輪を刻んださまざまな樹木が生い茂っていた。複雑な層を成す緑葉は陽光を遮り、参道に涼しげな影を落としている。
 ここは緑が多いから夏でも心地良い、というのはどんな季節であっても早朝の散歩を欠かさない老人たちの談。だがそれは樹木のように年齢を重ねた人間だからこその感性だと、神主見習いの肩書きを持つ昴は思う。
 真冬ならとうに夕闇が迫っている時間だというのに、空はいまだ憎たらしいほどの青さを保っている。吹きつける風は生ぬるく、頭上から途切れることなく降ってくる蝉の声が夏の盛りであることをくどいほどに強調してくれる。
 汲んだばかりの水を専用のボウルに注いでやれば、日陰で寝転んでいた猫たちが足早に集ってくる。人間の姿をした昴でさえ堪える暑さなのだ。全身に毛皮を纏う彼らだって辛いだろう。
「でもおまえたちは服を着なくていいんだからさ。お互いさまってことだよな」
 時刻のせいか、暑さのせいか。参拝客の姿はどこにも見当たらない。そして姉弟子がいる授与所からは死角となる場所であることを確認して、昴は地面にしゃがみこんだ。
 昴が纏っているのは真白い衣と浅黄色の袴。色合いだけは涼しげだが、年々気温が上昇していく日本の夏には不向きな服装だといえよう。はっきりいって暑い。だがそんな感情を顔にだせば、すぐさま兄姉弟子から叱責が飛んでくるのだ。
 猫は本来勝手気ままで、感情のままに生きる動物である。心地が良い場所で伸び伸びと体を横たえていれば、それだけで可愛いと褒めそやされる生き物なのである。それなのに。
「耐えられなくなったら社務所に来いよ? あそこはいちおうエアコンが効いているからさ」
 生活のすべてが修行だという姉弟子の信念に従って設定温度は平均よりも高めだが、少なくとも湿気からは解放される。貪るように水を飲む三毛の背中を撫でてやりながら、昴は我知らず吐息を洩らす。
 奇妙な鳴き声が鼓膜を突いたのは、そのとき。
 人間の耳では認識できない音域の鳴き声だった。その声が響いた瞬間、猫たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていった。ちいさな鳴き声だったが、猫たちはこの世ならざるモノの気配を敏感に感じとったのだろう。昴はゆっくりと立ちあがった。
 視線をむけたのは、艶やかな朱に塗られた鳥居付近。神社には結界が張り巡らされているから、物の怪が入りこむことはできない。猫たちを怯えさせた声は、鳥居の外側から響いて来ていた。
 足早に鳥居を目指す昴がふたたび猫の鳴き声を聞きつけたのは、狛犬ならぬ狛猫像の前を通り過ぎたときのこと。だがその声に昴は首を傾げた。
 柱の陰に隠れているのだろう。姿を捉えることは出来ないが、あらたに捉えた声は愛らしい子猫のそれだったのだ。そして子猫は、誰かと共にいる。


     <中略>


「なかなか別嬪さんじゃないか」
 爽香が預けた子猫を眺めながら、そう呟いたのは幽明だ。昴の兄姉弟子たちとは犬猿の仲である幽明が神社に来るのは珍しい。否。珍しかったと過去形で言うべきか。
 神社の主である寧々や、彼女に仕える昴たちの正体を知る幽明はこのところ、神社を訪れる回数が増えていた。そしてあれやこれやとやっかいごとを持ちこんでくるのだ。そのうえ時間を考えない。
 竹箒を手にする昴がいるのは、境内でもっとも樹齢の古い大木の根元。気温があがる前に掃除を済ませてしまうつもりだった。現在の時刻は午前六時。散歩が日課の老人たちよりも早く姿を見せた幽明は、すでにきっちりと黒いスーツを着こんでいた。
「耳のかたちはソマリのようだな。昴、君の親戚かもしれないね?」
 長毛のアビシニアンとも言われるソマリは、それほど有名な品種ではない。わざわざその名をあげてみせたのは昴に対する嫌がらせだ。
「見たところソマリとアメショのミックスみたいだけど。こんなに愛らしいのに貰い手がつかずに捨てられていたなんて、運のない子猫だ」
 爽香を捜して鳴き続けた子猫が疲れ果て、昴の腕のなかで眠りについたのは深夜になってからのことだ。ぐっすりと眠って気持ちが落ち着いたのか、翌朝からは昴の後を追いかけるようになっていた。
「最終的にはウチにたどり着けたんだから不幸中の幸いでしょう。それより、その持ち方なんとかなりませんか?」
 子猫の写真を撮っている幽明は片手で子猫を持ちあげているのだが、首の後ろを掴む手つきは見るからにぞんざいだ。子猫が嫌がっていないから静観しているが、幽明は猫に触り慣れていないらしい。そして地面にしゃがみこむ幽明は掃除の邪魔だ。
「なんだい、ずいぶん邪険にするじゃないか。ひどいなぁ。せっかく徹夜で働かされた後に、君の質問に答えたあげようと思って来たのに」
 子猫を映していたはずのレンズを昴にむけて、幽明はシャッター音を響かせる。
「財津家が猫を飼ってはいけない理由。それはあの家が、猫憑きだからなんだ。寧々さまや君たちとは別系統の化け猫さ。君も声を聞いただろう?」
 幽明の言葉で思いだしたのは昨日、鳥居の外から響いてきたあの鳴き声だ。
「財津はこの地の豪農だけど、興隆のきっかけは養蚕業だ。品質の良さが際だっていてね、財津の生糸を求めて遠くからも注文が入ったって話だ」
 養蚕農家の悩みは鼠だが、財津は不思議なほど鼠の被害を受けなかった。財津には猫が憑いている、という噂はその頃に生じたものだ。財津が独自の猫神を祀っていることもよく知られた事実だった。
 だが財津の猫は三枝神社と同様に人に富を運んでくれる益神であり、忌避の対象ではなかった。風むきが変わったのは戦後になってからのことだ。
「財津の家は緑ヶ丘だけど、昔は市の中心部に大邸宅を構えていたそうだよ。だけど三枝町にも空襲があったからね」
 三枝町の中心部は炎に飲まれ、すべてが終わったときには一帯は焼け野原へと姿を変えていた。だが不思議なことに、財津の倉だけが延焼を免れていたのだという。
「残ったのは倉ひとつ。財津も被害を被ったけど、家族や一緒に働いていた人間は全員生き残ることができた。だから立ち直るのも早かった」
 それは財津の先代が先頭に立って、懸命に働いた結果である。だが周囲の人々はそう取らなかった。
「戦争に負けたばかりで、余裕がなかったんだろうな。財津の倉が燃えなかったのは化け猫が憑いているからだと噂が立った」
 管狐に犬神。俗に憑きもの筋とされる家系は富を築く一方で、霊障に祟られる。多くは他の土地から移住してきた家が栄えていく様を目の当たりにした地元の人間の、嫉妬が生みだした迷信だ。
「その影響を重く見たんだろう。財津は空襲にも耐えた倉を取り壊し、そこに祠を立てて猫神を封じた。緑ヶ丘に移住したのもそのときだ」
 それから七十年。雑居ビルが建ち並ぶ駅周辺にあって、緑に囲まれた祠は近隣に勤める人々の休憩所となっている。数台のベンチが設置されたその場所が、財津の私有地であることを知る人間も少なくなった。だというのに、財津に憑いた化け猫の噂は消えなかった。否。一度は風化した噂が、ふたたび人の口に乗るようになったのだ。
「春先にひどい嵐が来ただろう? 台風並の強風が吹き荒れて、目抜き通りの街路樹が何本も倒れた。それからだ。緑ヶ丘に移った財津の家から夜な夜な奇妙な鳴き声が聞こえるようになった。そして家の周辺で鼠の死骸が散乱しだした」
 町に鼠はつきものだ。だが昔ほど目につかなくなった分、財津の周辺でのみ散乱する死骸に違和感が生じたのだろう。そして財津が猫憑きであるという古い噂が蘇ってしまったのだ。
「基本的にこの町おいて、猫は神聖な生き物だ。財津の猫も益神だと思われている」
 財津は現在、三枝町を中心にスーパーマーケットをチェーン展開しており、それ以外の業種でも順調に業績を延ばしている。
「財津名義の土地も多い。三枝町でもトップレベルの資産家だ。それも猫神が富を呼びこんでいるからだろうってね。まったく、この町にはどうしてこうお人好しばかりが住んでいるんだろうねぇ」
「それなら、何の問題もないってことですよね」
「対外的にはね。だけど人間だろうと物の怪だろうと、『業』を行えばどこかに反動が来るものだ。猫神が意図的に財津に集めた富。その反動が財津の娘……長女のほうだ、そっちに出てしまってね。彼女のまわりで立て続けに怪異が起きているそうだ。昨日はその相談のために財津家に呼ばれていた。途中で次女の行方不明騒ぎが起きて、それどころじゃなくなったけど」
 娘の部屋ではたびたび鼠の死骸がみつかり、彼女の持ち物にだけ猫の足跡が付けられる。帰宅が夜間になったときは、どこからともなく響く不気味な鳴き声に付きまとわれるというのだ。
「そんな状況に使用人が怯えてね。猫の祟りじゃないかと、駅前まで確認に行ったらしい。そこで祠が壊れていることに気づいた。そのせいで封印が解けてしまったらしいと相談を受けていたんだよ」
 猫神を封じたのは幽明の祖父。だから財津は幽明に、封印を掛け直すことを依頼して来たのだ。
「昨日は祖父の資料を漁ったり、社の周囲を調べたりと忙しくてね。気がついたら朝になっていたから驚いた」
 つまり幽明は、財津の祠を調べた帰りに神社に寄ったということだ。
「祠を直せば、怪異も鎮まるわけですよね」
「それがなかなか難しくてねぇ」
 幽明の姿を見たときから、イヤな予感はしていた。できれば距離を取りたいのだが、爽香から預かった子猫はいまだ幽明の手の内だ。
 自分から猫に触れるのは珍しいと思ったが、はじめから子猫を人質にするつもりだったのだと、いまさらのように気づく。
「祖父はかなり特殊な封印を施していたみたいでね。他に抱えている仕事もあるし、祠を直すにはすこし時間がかかるんだ」
 だから、と幽明は子猫を抱え直した。
「怪異は長女の周辺に集中している。直接的な危害はないが、ちょっと心配だから護衛を付けておきたいんだ。だから昴、君の『猫の手』を借りたい」
 子猫の右の前足を掴んで、招き猫のように腕を動かす。訳も分からないままニャンと鳴く子猫はひどく愛らしい。だが絆されるつもりはなかった。
「だったら式神をつけておけば良いでしょう」
 幽明の蝶の式神は、人間の姿で現れることもできるのだ。揚羽と呼ばれる式神の力は、昴のそれを上回っていたはずだ。
「揚羽はダメだよ。ヒトガタを取れるのは俺の側にいるときだけなんだ。蝶の姿では、いざというときに娘さんを守り切れない」
 財津の長女、香澄は高校生とは思えないほど大人びていたが、それでも線の細い少女だった。
 そしてひと鳴きで境内の猫たちを震えあがらせた物の怪を思う。万が一、あの物の怪が香澄に直接牙を剥いたら、彼女は無傷では済まない。最悪、命を奪われることも考えられる。その危険性があるから、幽明は昴に香澄の護衛を依頼したのだ。
 だが見習いに過ぎない自分に、あの子を守ることができるのだろうか?
「大丈夫。ちゃんと君の尻尾が一本だってことを理解したうえで頼んでいるんだ。すこし気になることがあるから、あの子をひとりで出歩かせたくない。それだけだ。寧々さまには俺からお願いしておくからさ」
 朔真や真雪とは犬猿の仲の幽明だが、寧々は幽明にひどく甘い。幽明の願いを彼女が断ることはないだろう。つまり、昴に拒否権はないのだ。
 そう気づいて、昴は力なく肩を落とした。

「護衛なんて必要ないです」
 幽明に連れられて、財津家を訪れたのはその日の午後。父親と共に幽明の話を聞いた香澄は、きっぱりと言い切った。
「猫憑きなんて、ただの迷信でしょう。鼠の死骸も、ふつうの猫の仕業のはずです。鼠が増えた理由は分からないけど、鼠がいるから、猫もこのあたりに寄ってきているだけ。人を雇うなら護衛のためではなく、鼠の駆除を行ってもらいたいです」
 まっすぐに幽明をみつめる香澄は姿勢も正しく、高校生とは思えない落ち着きを持った少女だった。
「だけど鼠の死骸は君の部屋でも見つかっているだろう? この家は猫を飼っていないのに、いったいどこから入りこんだんだろうね?」
 部屋の窓は施錠されていたと聞いているよと、幽明は穏やかな表情のまま矛盾点を指摘する。
「……でも、わたしが家を離れているときのことです。ドアには鍵を掛けていたわけじゃないし、出入りは誰でもできるわ」
 自分の反論は説得力に欠けると知ってか、香澄は気まずげに視線を落としてしまう。
 財津の家族構成は当主である父親とふたりの娘のみ。母親は七年前に事故で亡くなっていると事前に聞かされていた。香澄が年の割に大人びて見えるのは、実母の記憶をほとんど持たない妹のために母親代わりを努めていたからだろう、とも。
「外出するときだけだ。これは私が箭内君と相談して決めたことだよ。聞き分けなさい」
「お父さん。だけど」
 一昨年に病で倒れたという財津は車椅子に乗っているものの、その眼光は鋭い。抵抗を試みようとした香澄は、しかし視線だけで制されて言葉を飲みこんでしまう。
「祠の修理が終わるまで、我慢してくれるかな。大丈夫、夏休みが終わるまでには片がつく。昴くんなら年も近いし、見た目もそう悪くないだろう? 一緒に歩いているところを友人に見られても、彼が君の護衛だと思う人間は誰もいないさ」
 自分は褒められているのか、それとも貶されているのか。香澄を説得するための方便だと分かっていても、幽明の言葉に昴は首を傾げてしまう。
 世間的には夏休みでも、香澄の通う高校では夏期講習が行われているため、連日のように登校しているらしい。怪異は三枝町でのみ起きているから、昴が香澄に付き添うのは自宅から最寄り駅までの間だけとも決まった。香澄の予定を確認したのち、財津と幽明は他の話があるからと、昴は香澄と共に退席を促された。
 三枝町でも有数の旧家である財津の家は広い。廊下も天井が高くて、開放感がある。だというのに部屋を出たとたん、昴は言いようのない息苦しさに襲われた。原因は、背中に突き刺さる香澄の視線だ。
「それじゃあ明日、七時に迎えに来るから」
 無理矢理に作った笑顔をむけるが、香澄は不信感を隠すことなく無言で昴に抗議してくる。
「……離れて歩くから。大丈夫、こう見えて気配を消すのは得意なんだ」
 すこしでも交流を図ろうと言葉を重ねるが、香澄の口は重かった。昴を見る目が徐々に冷たくなっていると気づいて、泣きたくなった。
「猫はきらい」
 ついには掛ける言葉がみつからなくなって、息を飲む。ぼそりと香澄が呟いたのはそのときだ。
「昔から嫌いなの。猫に関連するものは、すべて」
 幽明は昴を助手だと紹介したが、香澄は神社で昴と顔をあわせている。昴が三枝神社の関係者であると、香澄は理解しているはずだ。
 爽香を迎えに来たはずの香澄が鳥居の前で留まっていたのは、猫神に遠慮したからではない。大嫌いな猫を祀る神社だからだ。
 憎しみをこめた一瞥を昴に向けた香澄は、昴が反応できないでいるうちに踵を返し、屋敷の奥へと姿を消してしまう。
 ……気の重い仕事になりそうだ。
 追いかけることもできずに香澄の後ろ姿を見送った昴は、そんなことを考えて吐息をついた。


 
椎名貴乃 * 新刊・既刊案内 * 08:36 * comments(0) * -

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